今回は趣向を変えて、漫画のレビューをやってみたいと思います。
紹介するのは、諸星大二郎のマッドメン。
| マッドメン (1) (創美社コミック文庫 (M-1-1)) | |
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諸星 大二郎
創美社 2006-07 |
諸星大二郎といえば、『妖怪ハンター』シリーズ、『西遊妖猿伝』に
代表されるような伝記コミックの第一人者として有名です。
単なる伝記に留まらず、神話や民俗学など巧みな知性を用いて
深遠で重厚な物語を紡ぎだすその作風でコアなファンを獲得。
漫画界きってのストーリーテラーとしても各界からも高く評価されてます。
この『マッドメン』は1981-1982年少年チャンピオンで連載。
諸星大二郎の代表作であると同時に、パプア・ニューギニアを舞台に冒険活劇的要素を
取り入れたことから、彼のキャリアの中では異色の作品とも評価されています。
民俗学者を父にもつ、日本の少女・波子。
ある日、波子の父は、ニューギニアから全身に刺青をほどこされた
一人の少年を日本に連れてきます。
少年の名は、コドワ。
コドワの刺青は、酋長の息子として、そしてその後継者として
「守り神」の力が宿るといいます。
その姿と、未開の民ならではの行動に戸惑いながらも、コドワに惹かれていく波子。
しかし、波子の父がコドワを日本に連れてきた真の目的は
禁忌(タブー)を破り、コドワの刺青の全容を見るため。
そして、タブーが破られた時、波子の家族と周囲に「守り神」の災いが襲い掛かる。
父を失い、母は正気を失ってしまう波子だが、コドワから一族としての
許しを得たことにより、災いから逃れることができた。
実は、コドワと波子は腹違いの兄妹であった。
コドワと別れた後も、彼が忘れられない波子は、数奇な事件を経て
運命に導かれるかのごとく、ニューギニアの地へ。
そこで、波子が見たものは、文明の侵入により様々な軋轢を生み出している
原住民たちの姿であった。
コドワと再会を果たすも波子だが、コドワは“大いなる仮面”の意思の元、文明と戦うという。
一方、波子たちの周囲いには悪しき仮面“アエン”の影が。。。
物語としては、序盤がニューギニアの禁忌にまつわる数々のエピソードを伝記色豊かに、
そして中盤からニューギニアに伝わる“オンゴロの神話”をベースに、
原始と文明、正義と悪、神話と現代といった対立を冒険活劇として描き挙げます。
それらの対立も、単なる二元論としてではなく、民俗学・神話学的な考察を交えながら
人類の文明のあり方をについて、深く考えさせるものとなってます。
原始的な罪を知らない人間のほうが幸福なのか?
文明の進歩と発展を享受するほうが幸せなのか?
人間のあり方に本質を問いかける、深遠なストーリー。
主人公であるコドワと波子は、文明に背を向け、さらには“大いなる仮面”の
意思からも背を向け、自らの神話を作り上げる事を選びます。
『マッドメン』が特に諸星大二郎の作品として異色なのは、わかり易いまでに、
文明とは何か? 神話とは何か? といった哲学的な命題を
真っ向から投げかげている所にあります。
私自身、何度となく『マッドメン』を読み返してみたものの、
未だ明確な答えは出ていません。
むしろ、この命題は回答ではなく問いかけにこそ意味があるのかも知れません。
しかし、その問いは文明に犯された都市生活者である私にとって、時に福音となります。
そして、それらの命題を第一級の冒険活劇として描き挙げる、諸星大二郎の
力量にただただ、感服するだけです。
この作品が発表された、82年当時と現在の状況はかなり違っているでしょう。
ニューギニアを始め、世界中の“辺境”には文明が進出し、人々の生活の
ありようを変えていることでしょう。
それでも、『マッドメン』は人類の普遍的なあり方を問いかける神話として
輝き続ける作品であることは間違いありません。
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- 『マッドメン』(諸星大二郎):深遠なテーマと壮大な物語 - *Marquee Moon より
